天山石

天山石の特徴

天山石は、シーティングの少ない玉石として採掘され、青みを帯びた非常に硬い斜長石が多い、紺碧の海のように澄んだ石となっております。吸水率の低さは浮金石、備中青御影につぎ、国産で3番目に低く、他石を寄せ付けない圧倒的な圧縮強度、曲げ強度を誇っています。このため、「変色、光沢低下、鉄気、ざらつき、剥離」などの経年劣化がほとんどなく、50年近く経過した墓石でも輝き続けております。

天山石のデータ(建材試験センター実施)

岩石名称:閃雲花崗閃緑岩
見掛け比重:2.68 g/㎤
吸水率: 0.059%(平均値)
圧縮強度:192.50 N/㎟
モース硬度:6.5
◆ 見掛け比重(g/㎤) … 石材の密度で体積当たりの重さ。水の密度は1g/㎤なので、どのくらい重いかがわかる。
◆ 吸水率(%) … 小さいほど良い石。石が水を吸うと変色、サビ、ざらつき、剥離などの劣化が起こりやすい。
◆ 圧縮強度(N/㎟) … 大きいほど良い石で、どのくらい割れや欠けに強いかを示す指標。ダイヤモンドが最強。

他の銘石との比較

他の銘石との比較
他の銘石との比較

天山石の曲げ強度

長崎県工業技術センターでJIS A 5411に準拠した曲げ強度試験を実施しました。寸法200[mm]×200[mm]、厚さ約10mmのサンプル(それぞれ10枚)を用い、曲げ速度は5[mm/min]です。さらに割れた部分の厚さを測定して、校正もしております。測定の結果、石の目や微細なクラックの影響によるばらつきを考えても、20[N/mm2]以上の曲げ強度があることが分かりました。ただし、グラフで示している誤差は、±1σですので、品質保証に合わせて使い分けてください。曲げ強度を20[N/mm2]とすると、破断加重は図に示すように計算できます。10[mm]の厚さがあれば、正方形では136[kg]に耐える計算になります。

天山石は大理石や通常の花崗岩より、非常に強いことが特徴です。吸水率が低く、圧縮にも曲げにも強いという大きな特徴があります。木材と同じように結晶の目の方向には多少弱くなりますが、裏面をエポキシ系シラーでコーティングすると割れやすい方向にも強度が大きくなり、ばらつきも減ることが分かりました。

他の墓石との経年劣化の比較

安山岩56年建立

安山岩56年建立

他の御影石58年建立

他の御影石58年建立

天山石54年建立

天山石54年建立

安山岩で昭和56年に建立した墓、他の御影石で昭和58年に建立した墓、天山石で昭和54年に建立した墓をご覧下さい。天山石の輝きは未だ失われていないばかりか、変色もなく、苔も全く生えておりません。40年近く経った後でも、建立時の輝きを保っております。天山石は、永遠の輝きを保ち続けることが大きな特徴です。天山石を発見して、まだ50年経ちませんので何年輝き続けるのかは、未だ分かりません。
他の御影石58年建立

他の御影石58年建立

天山石54年建立

天山石54年建立

他の御影石は角の部分が変色もしていますが、天山石は全く変色をせず、輝いています。
吸水率の低さ

鉱物学上の分類

天山石は、花崗岩(かこうがん)と閃緑岩(せんりょくがん)の中間的な性質をもつ、『花崗閃緑岩』に分類されます。

天山石は花崗岩と閃緑岩の中間的な性質をもつ、『花崗閃緑岩』に分類されます

花崗岩の主成分は石英・長石・雲母です。長石の種類(カリ長石、斜長石)や微量に含まれる成分によって色、硬さ、比重がかわってきます。石英、カリ長石が少なくなり、斜長石が増えてくると黒みがかり閃緑岩になります。

天山石は、石英は花崗岩と同程度含まれますが、カリ長石より青みを帯びた斜長石をより多く含む花崗閃緑岩に属し、紺碧の海のように澄んだ非常に硬い石です。

深成岩の種類と特徴

深成岩の種類と特徴 参考文献:深成岩の特性とその見方 大阪工業大学名誉教授 森田祟

花崗岩と花崗閃緑岩の成分

花崗岩と花崗閃緑岩の成分 参考文献:全農協石ころ博士入門ページ見本pdf

天山石の色合い

天山石の色合い

花崗岩と御影石のお話

花崗岩は地殻を構成する岩石で地球上いたるところに分布しています。

大陸の花崗岩は、カリ長石が多く紅色〜淡紅色を呈して白色の岩石は少なくなっています。それに対し、日本の花崗岩は斜長石成分が多いため、白色のものが多くなっています。

日本では、花崗岩は御影(みかげ)石とも呼ばれています。これは花崗岩が神戸市の御影石町付近で産出していたため、産地の名前をとって御影石と呼ばれるようになりました。このあたりの花崗岩は、カリ長石が多く淡紅色(ピンク色)を呈しています。御影石町でとれる花崗岩は、淡紅色(ピンク色)を呈して、日本では最も花崗岩らしい岩石です

天山石のふるさと

天山石の採石現場は、唐津市七山の玉島川の上流にあります。
2000年ほど前の話ですが、古事記や日本書紀によれば、玉島川には神功皇后が食事休憩中に鮎釣りをした石(垂綸石)が残っています。この石は天山石と同じ起源の花崗岩です。
この石のことは、万葉集にも山上憶良の歌として残っています。

唐津市七山の玉島川の上流の垂綸石と山上憶良の歌
唐津地域は、岸岳城を中心として約400年間波多三河守が治めていましたが、朝鮮出兵の折お取りつぶしとなり、豊臣秀吉が呼び寄せた寺沢志摩守広高が治め、現在の場所に拠点を置きました。
唐津湾の中心部に位置する唐津城は、関ヶ原の戦いの後広高により築城されました。広高は、関ヶ原の戦いのときは東軍についたので、加領されて天草も治めるようになりましたが二代で途絶え、唐津藩は親藩となり、徳川家の親族が統治し続けてきました。
唐津城の石段や石垣もこの地域で採石されたみかげ石で作られています。当時は玉島川や松浦川をつたい、その下流にあるお城まで運んだものと推察されます。
天山石が採掘される七山大屋敷地域を唐津城から眺めると、名勝虹ノ松原を横切って東南東に位置し、そのやまなみは佐賀の名峰天山と福岡との県境にまたがる背振山系へ連なっております。
また、採石場を山ひとつ離れたところは、自然豊かな樫原湿原が広がり、自然に恵まれた美しい地域です。天山石は、この恵まれた大自然の中に眠っており、自然環境との調和をはかりながら産出されております。

天山石の石切り場

5ヘクタールに及ぶ採掘現場から毎月1000才以上の天山石が産出されています。採掘された原石の30%以上が商品価値のある石です。 現在のところ推定できるだけでも20年以上の埋蔵量があると考えております
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